この日がどのように迎えられるかは、実に5月下旬にこのネコジルシなるSNS内にマイページをもった時点からの、当方自身の最大の関心事だったのですが(とくに5月26日付「冷たい生き物」を参照)、その実際のところをご報告します。
最近、私はこういうとき写真のシャッターを押すというよりは小型MP4ビデオを回しているので、今回も、さしてキレイに撮れているわけでもないその連続映像からキャプチャして、まず1コマを掲出します。

3匹飼っているなかで一番年少のニゴと最初に目が合った瞬間です。これだけでもすでに、表情があるのかないのかよくわかりませんが、こんな感じでじーっと私を見つめる時間が20秒ほどは続きました。
他方、彼よりも数ヶ月年長の、とっても怖がりのセリを捉えた最初の、まさに上から約20秒後の映像は、次の写真です。

外からの訪問者はたいがい2階までは上がってこないことを経験的に知っている、とっても怖がりの彼女が、まさに訪問者をいつも見つめる、階段の小さな踊り場から3段下った正しいポジションに後ろ足をおき、しかし前足2本は1段踏み出して、そうして固まっています。
ニゴを撮っている瞬間もこの姿勢が続いていたのなら、30秒近くは経ったことになるのかもしれませんが、どっちにしても、彼と彼女はその後、近寄る私から逃げるわけでもなく、私の手が触れ/向こうの鼻先が私に触れ、とコンタクトを交わすと、不思議にもすぐにふつうの状態に戻りました。
「ふつうの状態」といっても、ふだんのようすを知らないよ、といわれるかもしれませんが、つまり通常の飼い主と飼い猫の関係といいますか――それは、他人のように怖がられるか、待望のご主人様が帰ってきたと気づいて興奮するか、どっちだろうと思案していた私の予想をいずれも裏切る、まるでこの100日間がなかったかのような平静さが、すぐ訪れたのです。
これは細君にとっても驚きだったようで、そうしてわれわれ夫婦は、猫たちにはもちろん本能的な記憶の機能が備わっているのだけれど、それが現在に甦ってきたときには、その現在と記憶のあいだの時間の懸隔(過去という時間感覚)は消えるのでは?、と考えました。(「いままで長い間どこに行ってたの?」という感覚がないという見解ですが、短時間の買い物に出たあとは怒ってることがあるので、そういうケースにはうまく妥当しません。)
最後にもう1枚掲出するのは、一番年長でまもなく13歳になるマリです。

すっかりおばあちゃんの風格が出てきた彼女は、にもかかわらずその日、若いニゴと喧嘩したこともあって、他の2匹が入ってこれないように猫道をふさいだ寝室で「保護」されていたのですが、ふだんから気にしているのかいないのかわからない態度を、飼い主であれ訪問者であれ、つまりは人間全般にたいしてとる彼女のことですので、最初は当然、感触をつかみかねていました。
が、写真に見るように、手を近づけるとふつうにすりすりしてくる。
他人様にはそんなことをいきなりはさせない誇り高い老猫ですから、彼女もすぐに私を認識したのであることは、まちがいありませんが、いずれにせよ彼女も、とくに喜ぶわけでもない、いつもといっしょの応接なのでした。
私を見て狂喜する期待は裏切られましたが、かえって一時帰国を平静に過ごすための状況設定としては、これにまさるものはない迎えられ方をした、と感じています。




















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