タイトルのままですが、11年ほど一緒に暮らしてきたぴーちゃんが8/19に虹の橋を渡りました。
雨の降り続く夕方でした。
病気のために1か月以上も前から食欲がなくて腎臓のカリカリを無理に食べさせておりました。朝晩数グラムずつではありましたが。
もうこれは人間のエゴとしか言いようがありませんが、それでも食べると見た目でわかるくらい元気になって体重も増えてくれるのが嬉しかったのです。
チュールもよく食べてくれたのでエナジーチュールで少しでもカロリーとってもらいたかったし、大好きな鯛の「あら」ならものすごい勢いで食べてくれましたし。病院の先生もびっくるするくらい(笑)
けれど亡くなる2週間くらい前から食べる量が激減しその時病院の先生にいつ容体が悪化してもおかしくはないと言われました。
そう言われて点滴した次の日ぱくぱくごはん食べてこれまた先生を驚かせておりましたが。
一時持ち直して安心していたら亡くなる3~4日前から水も飲めなくなってきまして、脱水も酷く毎日点滴しに病院へ行くこととなりました。
お盆時期でしたがそこの病院の先生は良心的でお休みは午後のみというパワフルぶり。あ、話が脱線しました。
その頃に撮った最期の写真がこちらの写真です。

毎日毎日点滴をすれども容体はよくならず、最期の日病院に行って診察待ちをしている最中に呼吸がおかしくなってきました。
先生に診てもらって、ぴーの負担になるだけだからともう点滴もせず、排尿の注射と痛み止めを打ってもらって、今日明日が峠だと告げられました。
もう涙が止まらなくなって泣きながら帰ってきましたよ。すごくつらかったです。
そのあと呼吸は口呼吸に変わり、ぴーちゃん専用のベッドに寝せてずっと一緒に居りました。
すると16時近くになってぴーが泣いたのです。
そして必死に起き上がろうとするのを母が抱き上げると口をぱく、ぱくと3回ほどさせてしゃくりあげるような呼吸ののち、そのまま母の腕の中で永い眠りへとつきました。
そのあと夏の土曜日の夕方ということもあってぴーちゃんをそのままにはできず、ネットで調べて翌日ペットの葬儀屋さんに来てもらいました。
ぴーは公共の場所ではなく、自宅で葬儀屋さんの専用車で火葬され、遺骨も取り出しました。
ぴーの遺骨はまだムムの隣に埋める気になれず、家族のいる居間におります。
でもいつかは土に返してあげたいと思っておりますし、遺骨入れもそういうタイプのものを選びました。
ムムとの相性は…いまいちでしたので少し心配ですが…。
でも父が可愛がっていたネコで、きっと今は父の膝の上で寝ていることかと思います。
さて、今回ぴーが亡くなって病院の先生にご報告したところ、後日病院の方からお花が届きました。
立派なお花で他のにゃんこに食べられないよう工夫しながらぴーに供えてあげました。
本当に良い先生で、ぴーの腎臓病も旅行のために病院に預かっていただいた時にいち早く先生に見つけてもらったのです。
そうでなければ発見はもうしばらく後だったことでしょう。
それに、今年の春に出た腎臓病の新薬も、第4ステージになってはおりましたが先生に相談して投薬していただいたところみるみるうちに体重が増えて驚く効果も見せてくれました。
新薬を飲まなければきっと春過ぎには亡くなっていたかもしれないくらい病状はよくありませんでしたから。
そしてここだけの話ですがお値段が良心的…ごにょごにょ…。
本当に猫が好きな先生なんだなってわかるくらいいっぱいかわいがってもらえましたし。
病院の先生のネコちゃんはなんか増えていた気が…(笑)

それはともかく!ぴーはホントに頑張り屋さんでした。
病気のオンパレードで、写真の顔もきついお顔になっちゃっているくらいなので、つらかったと思います。
12年の5月に発覚して、17年の8月までだったので長い間よく頑張って偉かったなとつくづく思いました。
これからは残されたミミともこをぴーちゃんやムムちゃんの分まで可愛がってあげたいと思います。
最近ぴーちゃんがいなくなって乱暴者になったもこちゃんには手がかかりそうですが(笑)
ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございました。
これからは楽しい日々のお話も書いて行きたいです!
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