入金が済んでいないのに新しい仕事を振ってくる得意先の仕事は断っていきました。
やはり、前回の入金がまだなのに、1ヶ月位はかかりそうな仕事を振られてお金の回収ができないとなると受けた金額そのままの赤字と、働いてくれてる仲間の給料と自分の給料を自分が出していく、いわゆる二重払いの刑になり、あっという間にお金が底をつくと予想できたので、そんな博打のような事はしませんでした。
苦しい中でもお金をしっかり支払ってくれる得意先とだけ仕事をしましたが、やはり仕事量が減り限界がきました。
力不足でほんとうに申し訳ない。
ココで解散してもいいかな?と仲間達に告げました。
しっかりした知り合いの元で働けるように根回しをして僕は建設業界から姿を消しました。
その日以降、もうすぐ10年くらいになるんですかね。仲間達とは会わす顔がなく会っていませんね。
知り合いの話では今でも防水工事をしてるそうです。
僕も彼らの人生を変えた人間として、お金には困らないようにしないといけないと決めてましたが、最終的には他の人に託すような形になってしまいました。
この頃協力してくれた人達や、仲間達にはいつか恩返しできればなと思っています。
そして、僕はと言いますと、僕も色んな所からオファーが来ましたが全て断りました。
今まで1番上でやって来たのに他の人の下につくのも何だかなぁと言うところと、建設業ばかりだったので違う事がやりたいなぁという思いが強かった。
そして選んだのがdocomoでした!
は?って嫁さんも言ってました(笑)
モチロン、エンジニアとかショップ店員だとかそんな訳ではなく、スマホが出たばっかりの頃だったので電話でのWindowsフォンの操作案内の窓口でした。
元々口調が柔らかい男ですし、電話で使うような敬語も、今までの経験の中である程度使っていたのでそこまでしんどくはなかったです。
給料は工事時代の4分の1や、3分の1位にはなりましたが毎日勉強のようで楽しかったなぁと思います。
工事やってる時は朝の5時30分位に起きて、夜の22時位に帰る事がほとんどだったので、時間を持て余して、TSUTAYAでバイトなんかして、Wワークで働いてました。
アルバイトの大学生に混じって色々教えてもらって、歳が違いすぎるので苦労しましたけど、色々教わることもありました。
バイトと言えども責任感のある子達ばかりで、やるな!若いの!!と思いました(笑)
はぁー、最近の若い子にはこんなのがウケるんだみたいなのもわかりました(●^口^●)
両方ともに5年くらい勤めて、docomoでも少し偉い立場になって、TSUTAYAでも少し偉い立場になってしまいました。
睡眠時間は4時間30分あるかないか。
その時に、本当にやりたい仕事ではないのに偉くなっていくと辞められなくなるんじゃないの?
睡眠4時間30分をこのまま続けて行く?いけんのか?じゃあ、どっちか辞めてしまう?どうする?
…色々悩みました。
docomoは契約社員だった為、契約の更新が近づいて来てました。2014年夏——
休みの日にふとTVを見ていると、反町隆史と竹野内豊主演のビーチボーイズがやっていました。
あぁ、2人ともカッコイイなぁ…自分とは大違い。
でも、確かコレって自分探しの旅の話だったんだよなぁ…と懐かしく見てました。
…僕は本当は何がしたいんだろう…
…よし。決めた。
両方とも辞めて、自分探しの旅に出る。
仕事先は…給料もそれなりにあって入寮が出来るような所。…愛知県に良いところがある…よし、行くか!
続く。

トララとこうやって出会えたのも、この道を選んだからなんだよなぁ…(´ー`)☆



















16
最近のコメント