いないことにまだ違和感など感じておりますが、少しづつ猫たちも日常を取り戻してきています。
私はミーが亡くなったことは悲しいことだと思っておりますが、闘病や看病などの生活は悲しいことばかりだったとは思っていません。
それはミーが諦めず、毎日を生きたからです。
食べてくれた喜びなど嬉しいこともあったからです。
前回の日記には書きませんでしたが、ミーの最後は病院の診察中でした。
意識がなくなり、少しでもミーが楽になることはできないだろうか?と、診察をお願いしたときでした。
ミーは深く息を吐き、最後を迎えたのですが、ミーの場合は先に呼吸が止まり、そのあと心臓が時間をかけて止まっていきました。
正確には心臓が止まったのは自宅でした。
私は今回、ミーの最後に立ち会い、驚くことがありました。
それは、ミーが病院で呼吸が止まったあと、しばらくの間口を何度も開け呼吸しようとしていたのです。
これは先生も驚いていましたが、こんなことは滅多にないことだったそうです。
時間にして20分ぐらいはやっていたと思います。
先生は、この子はこの世に未練があるのかもしれないね・・・・と言われました。
私はミーが亡くなって、大泣きすることはまだありませんが、一つだけ切なくなって泣いてしまうことがあります。
それは、ミーに依存していた我が家の猫ななが、ミーを今でも探していることです。

ミーがいなくなってから、ななはずっと各部屋を探したり、台所の扉の前でミーがいると思い待っていたり、他の猫の通院でキャリーを持って帰宅すると、中にミーが入っていると思い、見にきます。
いろんな所を見て回るななに、私は「じいちゃんに会いたいね・・・・。じいちゃんいないね・・・・。」
としか声がかけれません。
そんなななを見るたびに、私は涙がでてしまうのですが、何もしてあげれない自分が情けなくもあります。
ななは日頃から、ミーの側にずっといました。
病院から帰れば玄関でずっとミーを待っていました。
いつか、ななはミーがいないのだ・・・・帰ってこない・・・・と気づくと思います。
それがいつになるのかは解りませんが、私はただ見守るしかできません。
ミーがいなくなったショックでなながFIPにならないだろうか・・・・と、心配もしています。
いつか、ななが乗り越えてくれますように・・・・・
今は自分の悲しみより、そればかりを願っています。

写真は、ミーとななです。



















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