29日、稲荷は朝から輸血のため、提供してくれるフクと病院へ。
寝たきりだった稲荷ですが、輸血当日も少しパウチを食べてくれました。
輸血を夜に終えて、迎えにいったときの稲荷は弱々しいままでした。
ここ最近の稲荷は寝たきりになってから、鳴いて私や主人を呼んでいました。
1時間の間に何度も何度も呼ぶのです。
水?
ミルク?
ご飯?
オシッコをしても呼びます。
用事が違うと、後ろ足で蹴られました。
そんな元気な寝たきり生活はすぐに終わってしまいました。
輸血をしたのが間違いだったのか・・・・・・
フクに痛い思いをさせただけ・・・・・・
いろんな気持ちや考えが頭の中に浮かびます。
稲荷が亡くなる30分前に私は仮眠から目が覚め、稲荷の元へ行きました。
呼吸が浅く早くなっていた稲荷の異変にすぐ気づきました。
稲荷・・・・・稲荷・・・・・何度も摩りながら名前を呼びました。
だけど、稲荷の意識が戻ることはありませんでした。
私は主人を起こし、稲荷が亡くなったことを伝えました。
びっくりして飛び起きた主人はすぐに稲荷の元へ行き、何度も名前を呼びながら稲荷の体を摩っていました。
すぐに稲荷の体を綺麗に拭き、段ボールにおさめました。
時間は朝の5時になっていました。
私と主人はもう少し寝ることにしました。
数時間のことでしたが、私は稲荷が亡くなって久しぶりにグッスリ寝れたのです。
稲荷の闘病が始まってから熟睡することがだんだん出来なくなり、最近は数時間で起きる生活でした。
稲荷を見送った安心感なのかわかりませんが、眠れた自分が冷たい飼い主だなとも思ったりしました。
思えば私は自分のことばかり心の中で考えていました。
コロナの影響で仕事がなかったのですが、今月少しだけ仕事があるのです。
7月そうそう仕事がある・・・・・寝たきりの稲荷の世話をどうしよう・・・・・仕事をキャンセルしようか・・・・・
そんな自分の都合を考えていたのです。
稲荷が再輸血でまた良くなると思っていたので、仕事を受けていました。
稲荷が亡くなって、仕事に行きたい私の気持ちを稲荷に見透かされた気がしました。
稲荷は十分生きたのかな・・・・・
お母さんとここの家に来て良かったのかな・・・・
稲荷をおさめた段ボールには庭で咲いていた紫陽花のアナベルをたくさん入れて、彩りに黄色と青のカーネーションを入れました。
輸血の選択がよかったのか?わかりません。
自分が輸血を軽く考えていたのかもしれません。
今となっては答えはでないですが、ただただ稲荷が安らかに・・・・・と願うばかりです

今の我が家、唯一の茶白男子。

我が家でお母さんと再会。

稲荷、お疲れ様でした。
稲荷のことを気にかけてくださった皆さま、ありがとうございました。



















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