今朝の福岡(私の住んでる所)は雨
1日雨予報です

さて、今日は父のお話です
私の父は平成12年に病院で亡くなりました
早朝4時でした
病院からの電話でかけつけましたが、一つだけ明かりがついてる病室で
泣きながら父の手をさすっている母の姿がありました
葬儀屋の連絡を入れて霊柩車が到着するのを待って到着したと同時に自宅へ車で帰りました
その際に2台の車とすれ違いました
1台目
運転しながらヒゲを剃ってる男性
2代目
信号停車でルームミラーで化粧している女性
この人達に 今、父が亡くなりました と言っても ご愁傷様です でしょう
関係のない事ですから・・・
その時思いました
自分は、今、父を亡くして混沌としてるけど
世間からしてみれば小さなことなんだな と・・・
それから
生まれる と いうことは 死ぬ ということ
死ぬ と いうことは 生まれる ということ
だから落ち込んじゃいられない
お疲れ様 と送り出してやらねば
と思い、ありがたくも
通夜、本葬 と滞りなく終わりました
亡くなる直前は酒に溺れ仕事をしなかった父
また
酒が大好きだった父
酒を飲むな!
ばかりじゃなく
寄り添って、一緒に酒飲みながら話を聞いてやればよかったと今思います
当時、私は33歳
まだ若かったのでわかりませんでしたが今はわかります
人間って目先の結果にとらわれて本質を見失ってるような気がします
その時の父の心情をもっと深く理解できれば違う対応ができたはずです💦
あーやった、あー言った、なんでわからない、誤解してないか
すべて自分本位の捉え方ですよね
他人あっての自分ならば
まず相手の言い分を聞いて吟味し、自分の立ち位置を決めて相手への振る舞いを決める
ですよね
自分あっての他人なら
相手への願望や欲求ばかりになりますね💦
父が亡くなって24年
今住んでる家を残してくれたことに感謝です
それと
人って発する言葉だけで判断しては本質を見失う
教えてくれたような気がします
人と人は揉めるもの
意見が違えばなおさらですが
一歩踏みとどまって、再度、相手の意見を聞きなおしてそこからまた一歩踏み出す
それが自分の成長の糧になりそうな気がします(^▽^)/
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