
12歳と2ヶ月、ロシアンブルーとしては平均的な寿命だったかもしれないし、もっと若くして旅立っていく子もいることを思えばいつまでも嘆き悲しんでいてはいけないのだけれどね…
大切に愛しんだ日々、目一杯応えてくれたライちゃん、やっぱり寂しくてたまらない。

うちの子じるしのリボン🎀はライちゃんのグレーの毛並みに似合う上品なピンクのリボンにしました。

冬へと向かいはじめた季節ということもあって庭には、寒さの中で頑張って咲いていたバラ数輪とラベンダーしか
なかったけれど、室内に取り込んだシャコバサボテンが満開になっていました。
あちこち向いて咲いているところとか、自由奔放で陽気なライちゃんらしいお花だね。
この先は重く辛いお話になるので、無理にお付き合いしないでくださいね。
安楽死
ライちゃんの最期にあたって、私は『安楽死』を選択しました。肺の病気なのでやがて肺が機能しなくなり呼吸困難を起こして苦しむことになるのはわかっていたので
「その時」が来るのが怖くてたまりませんでした。
夜、私の腕枕で眠るライちゃんの温もりを感じながら、このまま安らかに旅立ってくれたら…と考えたこともありました。
「その時」とは「酸素室に入っていても口呼吸を始めた時」
そして「その時」が来たら苦しみから解放してあげたいと考えていました。

ライちゃん、頑張っていたんです。
旅立つ日でさえご飯も食べていたし…
でも酸素室から出られる時間がだんだん短くなって、少しでも出そうものならそのまま息を引き取ってしまう
だろうと思われるような状態になっていきました。
11日からは血尿も見られるようになって…
いつだって私たちの側で甘えたいライちゃんなのに閉じ込めておくことしかできない。
酸素室の中で私の顔を見て鳴くライちゃん。
窓から手を入れて撫でてあげると隙間から顔をグイグイ押しつけて出ようとするライちゃん。
「ライちゃん、出たら死んじゃう❗️」
無理やり押し戻す私。
亡くなる前日あたりからは、鼻で目一杯呼吸するので酸素室の壁が曇るようになり、立っている方が呼吸が楽なのか
座っているのも難しいようでした。
壁に手をかけてしきりに出してと訴えていたのは、苦しかったからなんでしょうね。
そんな姿を思い出すたびに涙が溢れます。
11/13日の早朝には「口呼吸」を繰り返すようになりました。
こんなに外に出たがっているライちゃんを酸素室に閉じ込めたまま、あと何時間耐えさせなければならないのか…
泣きながら決断をしました。
病院が開く前に先生と連絡が取れて、今の状況をお話しして「安楽死」を選択することを伝えました。
ただ先生には病院に着くまでに命を落としてしまうかもしれないと。
そこまでは考えることができなかった私…
考えることを避けていたといってもいいでしょう。
身勝手なお願いではありましたが「家に来ていただけませんか」とお願いしました。
「安楽死」を考えるタイミングとして、ここまでひきのばしてはいけなかったのかもしれません。
ご夫婦で開院されている病院でしたので、こちらの無理を聞いてくださり来ていただけることになったのには
感謝しかありません。
酸素室を開けてあげるとライちゃん、すぐに飛び出して私のところに来て先生にもご挨拶に行きました。
でも1分もたたないうちに呼吸が苦しくなってへたり込んでしまいました。
そして9時54分、見慣れた風景、匂いの中でライちゃん、息を引き取りました。
苦しみを長引かせなかった決断に後悔はありません。
でもまだ息をしているかのように眠るライちゃんに顔を埋めて「ごめんね、ごめんね」と泣き続けました。
「ライちゃんは我が家の接待部長だったんです。猫には厳しかったけれど、人が好きで」
先生にそうお話ししたら「私への挨拶、最期のお仕事をしていったんですね」と。
ライちゃんは最期までライちゃんでした…

愛らしくおだやかなお顔で眠るライちゃん、うちの子になってくれてありがとう
また会おうね、ライちゃん
虹の橋でママちゃんを見つけたらいつものように飛びついてきてくれるよね
そしていっぱいいっぱいスリスリしてね
またあなたを腕に包み込める日までママちゃんもこちらで頑張るからね
今日もお立ち寄りいただき、ありがとうございました。
しばらくこんな調子かもしれません。
ごめんなさい。
昨日、先生のところにご挨拶に行ったら病院への帰り道で空に虹が🌈かかっているのをみましたよと教えてくれました。
ライちゃん、みんニャが迎えに来て迷わず虹の橋に行けたんだね…
こうしたひとことや何気ない風景、出来事に少しずつ心が癒されていくのかな…



















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