
ご主人様が入った「加藤プロダクション」そこで最初の
マネージャーに付いたのが、演歌歌手の「松前ひろ子」さん
でした。http://www005.upp.so-net.ne.jp/h-matsumae/
この方はとても苦労をされていて、
松前さんのお母さんと、北島三郎のお母さんが姉妹でして、つ
まり従兄妹ですねそれで、北島三郎と松前ひろ子で「従妹どう
し」と言う、デュエットソングを発売しまして、売れかけた頃
に、松前さんがタクシーに乗っていて、おかまされたんで
す、、そうして、みなさん松前さんその事故で歌手としての一
番大事な咽をやられまして、なんと2年間、声が出なくなった
んです(>_<) 。
そうして、歌手をあきらめ、作曲家の山口ひろしさんと御結婚
されました。
山口さんの代表作は「祝い舟」藤あや子の「こころ酒」
「むらさき雨情」などです。
そうして、時が立ち松前さんはどうしても歌手をあきらめられ
ずに再起をかけて再デビューしたのが、加藤プロダクションか
らでした。
その、再デビュー、初代のマネージャーがご主人様でした(¨ )
マネージャーのいろはも判らない、ご主人様に松前さんから、
いろいろ教えて頂きました。
あの頃は、シングルレコードでして1枚売れたら、幾らかのお
金がご主人様の所に入ると言う歩合制でした。
なので、レコードを売らないとダメです、毎日大阪の南、北の
繁華街に松前さんと2人でキャンペーンにくり出すのです。
右手にラジカセ、左手にレコードとサイン色紙
ε=ε=ε=(=^・・^)/
キャンペーン終わるのが、夜中の3時頃、それから松前さんを
ホテルに送り届けます。このホテルと言うのが、加藤プロダク
ションの経営するラブホテルなのです。
そこに、毎日送り迎えです。今から考えたら異様ですね
('-'///)。

今では、カラオケファンの中高年の方には知らない人がいない
くらい、有名になりまして、お弟子さんの「三山ひろし」君も
「人恋酒場」で頑張っています。そうして、思えば、苦労した
キャンペーン時代、お客さん1人って言う時もあり、落ち込ん
だりキャバレーではホステスさんに、水をかけられた事も、、(-_-;)
神戸の新開地で突然、ラジカセが壊れて、音が出なくなり、あ
わてたご主人様はアーケードを歩き回り、ある電器屋でラジカ
セを土下座して貸して頂き、無事キャンペーンが出来た事な
ど、今となっては懐かしい思い出です。



















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