まだ5ヶ月?
春はとっくに終わり、夏も過ぎようとして、秋の気配が色濃くなってきました。
椰を斎場に連れて行った時の、抜けるような青空と赤いツツジを思い出します。
あの時、私の中で一番強い感情は「憎しみ」でした。
私と椰の2人きりの世界が崩壊したというのに、外の世界はまるで何事もなく。
椰が死んだのに、生きているものがいるということが、自分も含めて許せなかった。
冷静に考えれば、雑種とはいえ長毛種の雄猫が17歳まで生きた、腎臓を悪くして点滴を続ける状態で4か月も生きた、決して理不尽な死ではなく、摂理にのっとったものです。
むしろ、よく生きたのだと思います。
様子がおかしいと病院へ連れて行き、腎臓が小さくなっていると診断され、毎日、点滴に通いました。
容体は快方に向かい、1日置き、2日置きと間を置いて点滴ができるようになり、週1回の点滴に落ち着きました。
しかし、腎臓は治らない。
まして椰はもうすぐ17歳になる。
やがて点滴の間隔がまた短くなるだろう、いつ治療をやめるのか、考えなくてはならないと思っていました。
考える時間なんか、なかった。
月曜日に点滴して、火曜日の夜、突然力が抜け、水曜日の夕方に逝ってしまった。
点滴の間隔が短くなる間もなく、週1回のままで。
椰の外見は、ボロボロになっていました。
スタッドテイルのせいで尻尾の毛は1/3くらいごっそり抜けてしまっていたし、腹部の毛も抜け、顔の毛も抜け、痩せこけていました。
トイレではない場所で、粗相をするようにもなりました。
それでも行動は変わらなかった。
最後の点滴に連れて行った月曜日、病院から帰るなり、浴槽の縁に上がって大声で私を責めたてた。
だからまさかその翌日、それより低いベッドにも上がれなくなるなんて、思ってもみなかった。
急変故に、ショックも大きかったわけですが、椰にとっても私にとっても、それは幸福だったのではないかと最近考えるようになりました。
椰は長く苦しまずに済んだ。
私は椰の治療をどうするかで苦渋の決断を迫られずに済んだ(椰の年齢では、状況によっては安楽死の選択を迫られていたかもしれない)。
でもやっぱり、どんなになっても生きていてほしかった。
「死」だけは、どんな命にも訪れる。
理由や時期はそれぞれ違っても、どんな命も「死ぬ」ことだけは決まっている。
わかってはいるんだけど。
永遠が欲しいと思った。

今は、はーろお気に入りの段ボールボックス。
椰は1ヶ月も使わなかったなあ。




















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