当時、ドイツに本社を置く企業に勤めていたので本国から送られてきたガイガーカウンター(線量計)を借り受け、常に放射線量を気にしながらの活動でした。

警戒区域へ向かう途中の林道で出くわした仔猫。母猫もきょうだい猫も見当たらず、たったひとりで助けを求めて車道に出て来たところを保護しました。
猫風邪で目は半分しか開いていません。
持っていた「レボーリューション6%」を滴下すると、翌朝回虫まみれのりっぱなウンPが出ました。
レスキュー後、自宅に連れ帰ってくれた仲間が手厚く看護してあたたかなご家族とのご縁を結んでくれました。

茶トラの大きな男の仔。
住民からの依頼を受けて、飼い猫の保護に向かった民家内で保護しました。
*残念ながら依頼の猫ではありませんでした。
レスキュー後、検診を受けた病院にて。
「白濁している右目はほとんど視力が無いですね」「首の周りの皮膚がだいぶ硬くなっている。噛まれた痕だと思います」「10歳前後の高齢猫」。
おとなしくてスリンスリンしてくることから、間違いなく人と暮らしていた飼い猫だったはず。飼い主さんが見つかったらその時は話し合いを、という条件付きで里子に出ましたが、その後、飼い主さんが見つかりました。
この仔のことは「いつか帰りたいぼくのふるさと―福島第一原発20キロ圏内からきたネコ 」という絵本をご覧になってください。

原発からほんの数キロ、大熊町の民家敷地内に残されていた愛猫へのメッセージ。
室内には鍋、ボウル、洗面器などあらゆる器にフードやお水を入れて避難した痕跡がありました。
ドアは開け放たれていて、猫の亡骸は見当たらない。
きっと生きているはず!ごはんを求めて外に出たに違いない。
そう思って敷地内を探している時にみつけたものです。
段ボールの底に書かれたメッセージは、キャットフードの油分がこびりついていました。
猫達がごはんを食べて、食べ尽くして、そして空っぽになったときに目にしたものは、緊急避難指示で身一つで家を出た家族の悲痛な思いだったのです。
自宅に戻れば穏やかな日常がまわっているのに、警戒区域となった街が同じ日本国内であることが信じられない。
そんな思いをかかえながら、いつも帰路についていました。
*あと一回続きます。
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