‥とはいえ、連日の暑さに少しお疲れのようですが(^◇^;)
↓私の体の上でゴロゴロ‥

以前、日記にも書いた事がありますが、今目の前にいる日向は2代目です。
我が家では3匹目となる「初代日向」がいたのですが、大きくなる事が出来ずにあっという間に虹の橋を渡ってしまいました。
もうすぐ、「初代日向」の命日を迎えるので、思い出を書いてみます。
2代目の「りゅう」を亡くして数ヶ月が経ち、新たな子を我が家に迎えることになりました。
それが、まだ乳飲み子であった初代日向。

もともと、うちの1匹目の「くろ」も乳飲み子から育てあげ、時が経ち、数年前に子供達が5匹の猫を拾ってきた時も授乳に奮闘して(この時はダンナとの共同作業でしたが)無事に里親さんに渡す事が出来ました。
その経験もあり、共働きではありますが我が家を里親に選んで頂き、お迎えとなりました。
迎えたその時から元気ではありましたが、下痢をしていたようでお尻が汚れていました。かかりつけの先生に診察をしてもらい、整腸剤をミルクに混ぜて様子を見ることになりました。しかし、下痢は止まらず、体重も増えず、翌日には哺乳力が弱くなり、胃にチューブを入れて経管栄養しましたが、下痢は止まらず嘔吐も始まり、その日のうちに入院となりました。
入院後直ぐに首から点滴チューブを入れられ、検査をされましたが、パルボウイルスの疑いが濃厚(犬用のキットで陽性)となり隔離されました。保護された方に連絡すると、同時期に兄弟と思われる子達が嘔吐と下痢を発症したとこと。
面会にも行きましたが、その面会すら負担がかかるようで最初は点滴されながらも立ち上がってミーミー鳴いていたのがうずくまり声も出なくなり、最後は横たわってようやく息をしているのがわかる位でした。もう、面会室に連れてくることが危険と判断され、通常は入れない隔離室での面会が最後となりました。
私は医療機関で働いているので、人間と猫の違いはあれど、治療の限界も命が終わる兆候もわかります。

最後になるかも‥と抱かせて貰いました。身体はまだ温かいけれど、もう瞬膜が引っ込まなくなった虚ろな目と努力しなければ出来ない呼吸と長い無呼吸を見て、もう聞こえてはいないだろうけど、「これ以上頑張らなくていいよ、ありがとう」って泣きました。その晩、本当に短かった生涯を終えました。我が家で過ごしたのはたったの2日間だけでした。
保護された方に連絡を取ると、兄弟達も危なかった子もいたけど回復したようで、育てられなかったことを謝ると、「短い間だけだったけど初代日向だけのママが出来て良かった。次の子を幸せにしてあげて」とのメッセージが届いてしました。
お別れをして帰ってきたのは本当に小さな小さな骨壷でした。
それからほどなくして、今の日向とのご縁を頂きました。もう、乳飲み子は怖くて自分でご飯を食べられる子です。それでも毎日ビクビクして暮らしてました。名前の由来は最初の日記にも書きましたが、育つ事が出来なかった初代の分まで長生きして欲しいからです。
健やかに育つという事が当たり前だと思っていたけど、本当はすごく難しい事なんですね。
多くの子猫ちゃんが元気に育ちますように。
そして、みんな幸せでありますように‥

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