最近のネコジルシで起こっている論争。
私はTNRもやっていないし、保護活動もしていません。
なので私はこの話題に言及することはしません。
ただ、くだんの論争にかかる幾つかのコメントを読んでいてちょっと思うところがあったので、それについて少し書いてみようと思いました。
こういう話はちょっと苦手。という方はここから下は華麗にスルーでお願いします。
ご存知の方もいると思いますが、うちの美雨は小笠原出身の元「ノネコ」です。
人とほとんど関わることがなく、人家もまばらな島嶼部の山域で、ほぼ山猫状態で暮らしていた親猫から生まれた生粋のノネコ。
捕獲された時は生後三〜四ヶ月前後。
親猫からは独り立ちしていたらしく、単独で一匹で捕獲箱にかかっていたと聞いております。

小笠原のノネコは人馴れを全くしていないので、担当の獣医師の元で馴化を受け、イエネコとして適正と判断されるまでは動物病院にて、ケージの中で過ごします。
美雨は捕獲されてから四ヶ月間獣医さんの元で育ちました。
上の写真は捕獲直後のものですが、今と違って、緊張した目つき。
人なんか信じていないぞという野生の目です。

捕獲された時は月齢の割には痩せていたけど、親から離れて一人で小動物や鳥、虫などをとって食べていたらしく、生命力はあったらしい。
その片鱗はうちにきて2年経った今でも見られます。

険しく高い場所を敢えて好み

小さな虫なども見逃さない。
おもちゃでの遊び方はじゃれではなく、完全に狩りの動き。
時々考えるのです。
この子は山にいた方が幸せだったのか?それとも我が家に来てよかったのかと。
美雨は激しい運動を好みます。
おもちゃを追って大きく跳び、全速力で部屋中を走る。
棚の上にいる姿は、崖や木の上にたたずむ姿を彷彿とさせます。
何か、プライドのようなそんなものすら感じます。
先代の長吉は私の知人宅で生まれてから、一度も外に出たことのない完全なイエネコでしたから、まだ見ぬ外に興味を持ち、よく脱走を企ててました。(全て失敗してましたがw)
しかし、外の暮らしを知る美雨にとってはどうなのだろう?
この家は狭くて不自由なのではないだろうか?
そう考えることは今でもたまにあります。
しかし、そんな私の考えとは裏腹に、なぜかこの子は外に興味を全く示しません。
ベランダの窓がたとえ全開で開いてても、外には出ようとしない。(ベランダからは建物の構造上、それより外には出られないようになっている)
広い外の世界を知っているなら、外に興味を示さないのだろうか?
それとも、知っているからこそ、外にはもう出たくないのだろうか?
こればかりは本猫に聞かないことにはわからない。
小笠原のノネコは、猫プロジェクトの方々の努力により、どんどん捕獲され、島から引越しをしています。
希少種の鳥の生息数も近年増えてきたと聞いています。
このプロジェクトは猫を殺さずに共存を成功させた事例として各種メディアに紹介されていますが、それでも課題はまだまだある。
島から引越ししたノネコたちの里親はそう簡単には決まらない。
何ヶ月も病院で待機している子もまだまだいると聞いています。
美雨を譲ってくれた、獣医の先生も「決まらない時は何ヶ月も決まらない」と言っていたのを思い出します。
需要と供給があっていないのでしょう。
そういう意味では美雨は幸福だったかもしれないと思います。(それでも四ヶ月の待機だったが)
奄美や御蔵島、天売島なども同じような状況にありますが、全てが小笠原のようにはいかない。
各々の事情があるから、何が正解なのか私にはよくわからないのが正直なところです。
今でも考えてしまいます。
美雨は島にいて、自由に暮らした方が幸せだったのだろうか?
猫という種としての本来の姿が正しいのか、人との共存のための妥協が正しいのか。
未だに私にもよくわかりません。
こちらに来て食や住、安全と愛情が確保されたことと引き換えに、外での自由と、自分の子孫を残すことはできなくなった。
これは美雨にとっての不幸?それとも、そんなことは猫本人にとっては気にならない?
気にしているのは人間だけ?
美雨と暮らして2年になりますが、未だにその答えは出ていません。
美雨は、よく外を見ています。
外に出たがらないけど、見るのは好きらしく、よく外を見ています。

美雨は幸せなのかなあ?
この子の言葉がわかればいいのに……。
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