人間が自分が置かれている場所で、
精一杯自分が出来ることをすることが大切で、
最初は1つの小さな灯火であっても、
それがやがて周りに広がり、
大きな光になる。
伝教大師:最澄(767年~822年)
私がこの言葉の存在を知ったのは、
今月逝去された、アフガニスタンでNGO活動に人力されていた、
中村先生の事件の後になります。
この言葉に触れ、とても考えさせられ、
また、今後に繋げて行かなければいけないと
思いました。
私は元々、動物のボランティア活動経験よりも、人へのボランティア活動経験が長い人間です。
ボランティア活動に出会ったのは、
高校1年生の時でした。
初めてのボランティア活動は、
重度の身体障害のある方々の、
プールの見守りと介助の活動でした。
それから、定期的に、クリスマス会、餅つき大会、BBQ大会など、
色々な活動に参加させて頂きました。
また、夏休み・冬休み・春休みなどで、
2週間以上施設に泊まり込み、
起床から消灯まで、職員さんの指示のもと、
色々な介助をさせて頂きました。
少しピアノが弾けるので、
みんなで歌えそうな童謡を弾いて、みんなで歌ったり、お絵描きをしたり、折り紙をしたり、
一緒にお風呂に入ったり、トイレ誘導や必要な方のオムツ交換、
施設の清掃、食事の仕度・見守りと介助。
沢山のことを体験させて頂きました。
そして、沢山の喜怒哀楽も共有しました。
自分が社会人として就職すると、
勤務の関係で時間が取れなくなり、
約6年位のボランティア活動を、
自然に終わりにしてしまいました。
ご縁があり、今動物のボランティア活動を始めて1年半位経過しました。
「自分に出来ることを、自分の出来る範囲で。」のボランティアです。
終生適正飼養・適切な避妊去勢の啓発活動が主ですが、
依頼時の病院搬送のお手伝い、
里親応募で地域を廻ったり、
県との定期的ディスカッション、
意見交換会など。
行政と話をするには知識は必須です。
故に、法律・ズーノーシスなど、必要なことは、まだザックリだとは思いますが、
一通り勉強をしました。
私は、将来的に、保護譲渡されなければいけない犬猫さんがゼロになると良いな、
と考えて活動しています。
遺棄をされず終生飼養で幸せに暮らせる。
新しく野良犬野良猫にならなければならない命を人間が産み出さない。
そんなことを思っています。
短いボランティア経験の中で、
ちょっと納得いかないことを言うボランティアさんとも出会いました。
「野良猫は居なくなった方がいい。」
「でも、仔猫はちょっと居てもいい。」
へ?ってなりました。
理由を伺うと、
「仔猫が居ないと譲渡会が出来なくなるから。」
でした。
その方はきっと、
可哀想な猫を無くしたい・減らしたいのではなく、
譲渡会というモノで、ワチャワチャしたいだけの人なんだろうな、
と、とても残念に思いました。
中村先生の言葉の中に、
「100の診療所より1本の用水路を」
という言葉があります。
中村先生は、アフガニスタンで診療のかたわら、自身でシャベルカーを運転し、
数年かけて、現地の方々と22.5キロの用水路を作りました。
緑地を広げ、農業が出来る土壌が作られました。
先生の言葉を動物に例えるならば、
100人の里親さんの存在は大切だけれども…
100匹譲渡されなければいけない命が存在することを、無くさなくてはいけない…
犬猫さんにとっての「用水路」は、
何で?
どうしたら良いのでしょうね?
そんなことを、自問しながら、
自分の居る場所で、
自分の出来る範囲で、
活動を続けられたらいいなっと思っています。

今年のクリスマスリースはこんな感じにしました。
水引とレジンのパーツで。
ちょっとお子さまっぽくなりました。



















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