
今では「名作映画」で確立してるでしょうけど、1973年当時は抗議デモが起きた位に、「映画としての出来」と「宗教の冒涜」、と、「立ち位置」によって評価の変わる作品だったそうです。
ともあれ、この映画を観ると、マイケルジャクソンのスリラーやBADなどのPVは 全部パク…、インスプァイアされたんですね(笑)
御子 ナザレのイエスは「全ての人の [原罪]を背負って 大いなる父の元に召された」。
[原罪] とは、何でしょうか?
日本では過ぎてしまいましたが、世界中で終了する迄にはまだ間が有る、この聖なる日に 考えてみたいと思います。
人が生きてゆくには、他者の命を奪うしかありません。植物も微生物も生命です。仮に石油から食物を作れるとしても、石油も石炭も、元は植物や微生物です。時間の問題に過ぎません。
ブッダことゴータマ・シダールタは「殺生戒」を説きましたが、植物食までは禁じていません。彼ほどの知性が 日々成長する存在を生命と認識しないとは思えないので、「目覚めた人」ブッダでも、殺生の罪から逃れるのは無理だったのでしょう。
人間以外の生き物は、そもそも 殺生を[罪]だとは思いません。
だから、動物には[魂]が無く、[天国の門]を くぐれない。
人間と獣は「違う」のだ、と説くのが、一神教です。
ですが、科学の眼で視れば、「ヒトも獣も同じ」です。
「快楽殺生」も「イジメ」も、爬虫類から連綿と受け継いできた [大脳皮質」に起因する「破壊本能」です。
「本能を理性で制御」するのが、人間の人間たる所以なのですが、 残念ながら、所詮は「程度の問題」です。 より 獣並みなのか、否か、それだけです。
その意味では、「罪無き者、石を投げよ」、「悔い改めよ。天国の門は狭い」、と説く御子イエスは、「科学的な」人間だったと思われます。だからこそ、処刑される迄の迫害を受けた、とも云えますね。
「出戻って早々に、何をグダグダ書いてんだ?遂に[脳症]が出たのか?」と突っ込まれそうな気がしますが、
要は、「生き物を飼う」、つまり、「自由を奪う」ことについて、少しだけ「俯瞰して考えて」みたかった、「考えて欲しかった」のです。
「是か非か」では有りません。
あくまで、ほんの少しだけ、考えてみませんか? と囁いてるのです。最近は、ツイートがマイブームなので(笑)
もう一つは、今 ラノベの執筆を目論んでるので、そのジャンピング・ボードにしようかと(笑)
皆が温厚で、犯罪の無い 人畜無害な世界、原罪すら存在しない世界を、どうデッチあげるか、オチは 出来るのか、等々、小噺的なエピソードは積み上がってるけど、どう矛盾無く組み合わせるか、まぁ、[自分では]楽しみです(笑)
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