私は猫が好きなほうだと思います。
だから可哀想な猫の話を聞くと知らなかったときのように過ごせないことがあります。
怪我した子がいたよとか、子猫いたよとか、手に届く猫の話は話を聞いてフーンと思えないのです。
話を聞けばその現場を見に行ったり、話にでた猫のことを気にしてしまいます。
話をする方は、ただの話題かもしれないですし、この人なら助けてくれるかも・・・・と思って話すのかもしれません。
もし、自分が何もできないなら話はしないことです。
保護もできない、お金も出せない、時間もかけれない・・・・でも助かったらいいなぁと思う。
それは無理なことです。
自分は変わらない生活を送り、可哀想な猫も助けれた・・・・そんな都合のいいことはないんです。
私もそうですが、話を聞き、保護をするために見に行ったり時間を取る。
実際保護すれば、新たに猫が増えたことにより、やることも増えるし、家に入れる前に駆虫などをして準備もする。
誰も何も苦労せず助けれることなどないと思うのです。
助けたい気持ちがあるなら、まず自分に何ができるのか?人に助けを求めるのなら自分はその人に何ができるのか?
猫を一匹保護をする・・・・数万円なんてあっという間になくなります。
そのお金も自分ができないことをやってもらう人に出してもらうのですか?
里親さんが見つかったら、新しく里親さんになってくれた人が全部支払うのですか?
自分の何気ない言葉や気持ちで、猫が好きな人の心がざわつきます。
もし、迷惑をかけたくないなら可哀想な猫の話はしないでください。
可哀想な猫を助けたい気持ちがあって猫が好きな人に話しをするなら、自分ができないことを並べるのではなくて、できることを考えてみてください。
きっと何かできることはあるはずです。


すみません、追記させてください。
今回の日記はネコジルシで相談されたり、日記を書かれてる方に対しての言葉ではありません。
私が経験した、話をするだけの人に対して書いたつもりです。
猫に対して考え、悩んでいる方へにむけてではありません。
不快に思われた方がお見えでしたら、すみません。



















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