学生の時に飼っていた「猫ちゃん」は生後半年くらいの時に脱走して行方知れずに・・・。

数年後、駅前に停車してあった車の中にいて大人になってました。
再会した「猫ちゃん」らしきその子は、色合いだけでなくブルーペルシャにしては顔がつぶれて無かったから父=ヒマラヤン、母=ペルシャの子の猫ちゃんに違いありませんでしたが「生きてた事」に心底ホッとしたのを覚えています。
少し待てば車の持ち主も現れたのだと思うけど、居なくなって4年。寂しさのあまり違う子を飼っていたので大事にされていたという事だけを見て、その場を離れました。
父の知り合いの家ではヒマラヤンのブリーダーをしておりオス猫貸し出しとして預けた先で生まれた「猫ちゃん」は血統種ではあるけれど私にとって初めての長毛種で、とても可愛い子でした。
猫を家に入れられない環境になると、時々だけど寝付けない時の瑠璃ちゃん効果(一緒にねんね)を思い出してしまいます。
何が可笑しいって、ホームシックではなく瑠璃シックになる自分かなー?忘れられてないかしら?とかいつもドキドキしながら帰郷しては「お手!」

子供の時は生き物すべてが好きだったけど・・・やはり猫は好いですね~・・・別格です。(^-^)/
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