近くの河原がお散歩コースで、当時小学生だった次女がワンちゃんの散歩に着いて来るようになり、生後半年ほどの人懐こい黒猫を見つけました。
誰にでも寄ってくるような性格で、私も散歩中に黒猫に会うのが楽しみになるほどでした。
河原に行けばいつもどこからともなく出てくるはずなのに何日も会えない日が続いて、道路脇で亡くなっていたことを知りました。
未去勢だったので縄張りを広げようと河原から道路に出たのかもしれないです。
当時、河原には20匹以上の猫がいてほとんどが避妊されていませんでした。
今なら一斉TNRされるような案件です。
餌やりに対する苦情もありました。
以前から河原猫たちの餌やりをしていた方に声をかけたのがきっかけで餌やりに加わりました。
そして触れる子から捕まえて、手術とワクチンをして河原へ戻す
ゆる〜いTNR活動を三人で始めました。
キャリーに入れようとして噛まれたり…😓
それでも捕獲器を使うことに対抗がありました。
耳カットも可哀想、いつか家猫になる時が来るかもしれないからとさくら耳にしませんでした。
TNR活動されている方が聞いたらビックリしますよね。
そんな感じなので捕獲に手こずって、手術が間に合わず生まれてしまう命もありました。
母猫が育てていても事故にあったり、川に落ちたりして命を落とす仔猫を目の当たりにして徐々に考えが変わっていきました。
何が何でも避妊!!
捕獲器も購入しました。
でも毎回3人でお金を出し合うのはきつかった〜💦
野良の成猫を保護していない状態で、無謀な里親募集も始めました。
ネットの募集なら目に留めてくれる人がいるかもしれないと淡い期待をして…
雨の日でも河原で待っている猫たちに、どうかお家を下さいと願い続けました。
奇跡的に手を挙げて下さった里親様に手書きの誓約書を書きました。
その子の生い立ちや性格、河原でどんなふうに生きてきたのか、私たちの思いをびっちりと書いて、二週間ではなく無限のトライアルをお願いしました。
「帰る場所は河原しかありません…
どうしても飼い続ける事ができなくなった時は責任を持って必ず次の里親様を見つけますので、どうかそれまでこの子をお家に置いて下さい」
半ば脅迫とも言える内容の誓約書でした。
餌やりを始めて六年?くらいに河原にマンションが建つことになったのです。
その時にお世話してたのは7匹でした。
どうすればいいのか悩みました。
当時仕事が忙しかった主人には到底理解してもらえず、家族より外猫が大事なのかと言われて心身共に限界を感じるようになっていました。
たまたま知り合ったボランティアさんに相談すると預かりできる人を紹介してもらえる事になって、初期費用を準備して7匹を一気に保護しようと決めました。
5匹を預かりさん宅へ
高齢の子1匹は友達のお家にお願いしました。
賢い三毛ちゃんが捕まらず、河原に居残りましたが、一年後くらいに自らキャリーに入りやっと河原を後にしました。
河原から猫たちが出発する日、気にかけていた人たちが集まって猫たちの新たな旅立ちを見送ってくれました。
預かりさん宅へ行った5匹のうち2匹は早々に里親様が見つかって、切羽詰まった状況を理解して下さり幸せを掴みました。
ですが全員が幸せになれたわけではありません。
預かりさん宅から2匹も脱走してしまいました。
1匹は車に轢かれて命を落としました。
もう1匹は行方が分からず、知らない土地で迷子にしてしまった後悔と懺悔の気持ちで探し続ける日々が一年以上続きました。
張り紙やポスティング、新聞広告に出しても見つかりませんでした。
暗いトンネルの中にいるような苦しい日々でした。
それから少しずつ探すことを諦めて…ずっとずっと心の中で謝り続けています。
何年経っても忘れることはできません。
河原でお世話していた頃は平和な餌やりだけでなくて、事故に遭って手術した子もいました。
下半身がダラリとなった子を見て目の前が真っ暗になりました。
その時にたくさんの励ましと有志で寄付までして下さった猫友さんに心から感謝しています。
餌やりの場所に捨てられた小さなシャムミックスの子を遠くから迎えに来て下さった猫友さんにも感謝してもしきれません。
猫友さんのお家で先住猫さんに無邪気に甘える天使のような子でした。
河原には高齢の猫も2匹いました。
一匹は飼い主さんが居たにも関わらず、怪我しても放置、雪の日でも外に出されて河原に住み着くようになりました。
犬のようにどこまでも着いて歩くような甘えん坊さんでした。
飼い主さんを訪ねると10年以上飼っていた子をあっさり飼育放棄しました。
嬉しそうに缶コーヒーを一本とその子を私に渡しました。
譲渡が難しい事を気にかけてくれた友達が引き取ってくれて、とても従順で面白い性格だつたので、それはそれは可愛がられて猫生を全うしました。
もう一匹のおばあちゃん猫も引っ越しで河原に捨てられてから7年以上健気に頑張っていた子でしたが、辛かった日々が帳消しになるほどの幸せな晩年を過ごすことが出来ました。
昨年6月1日、茶トラの女の子(ぽーちゃん)が天に召されて、保護した河原の子全員とお別れした事になりました。
保護する時、大人しくキャリーに入りました。
とても不安そうな目をして私を見上げいたのを鮮明に覚えています。
その時は本当にこれで良かったのかと心のどこかにずっと引っかかっていました。
でもぽーちゃんの里親さんからぽーちゃんの気持ちを代弁するように幸せだった様子を教えていただいて、言葉の一つ一つにぽーちゃんへの深い愛情を感じました。
里親様とぽーちゃんが過ごした日々は愛情いっぱいでかけがえのないものでした。
今でも仔猫を見つけたら保護します。
でも家では保護できないので預けます。
パート代が吹っ飛ぶ時もありますが、見捨てたという十字架を背負うよりいいと思うようにしています😅
私はもう餌やりはしません。
最後まで責任が持てないので…
毎日、餌やりを続けるうちに家の中にいるか外に居るかの違いで、とても愛おしい存在になってしまいます。
それと同時に外にいる事が可哀想で辛くなってしまいます。
だからもうお外の子のお世話は無闇に出来ません。
家猫になれた子はほんの一部の子です。
それ以外の子はある日突然姿を消したり、ひっそりと亡くなったりしました。
今でも時々、仕事の帰りに河原を歩くことがありますが、みんなが過ごしていた場所に猫は見かけなくなりました。
ホッとします。
あの何年か頑張った事は無駄ではなかったと…
月日が経って記憶も曖昧になってきたので、河原で生きていたあの子たちのことを日記に残しておきたいなと思いました。
携帯に残っている河原猫の一部の子です。
成猫なのに小さくて天使のようだったこまちゃん

一人がいいのにゾロゾロと子分がついて来ちゃう茶トラ女子ぽーちゃん

賢くて心優しい三毛ちゃん
捨てられた乳飲子2匹の代理母も務めました

甘えん坊で従順なおじい猫のグレオ

河原ではボスくんと呼ばれてたけど里親さんからはなちゃんという可愛い名前を付けてもらいました

みんな幸せだったかニャ?
いつかまた逢える日まで待っててね😌



















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