
昨年のクリスマス、
ザク改めマルリ・ヌプリと、ナミが我が家の家族に加わった。
うちに長くいた居候義兄弟。
そういう話をすると「(捨て猫は)可愛そうだからね」といった感想をいただくことがある。
一度は捨てられた命を鑑みて…という理由は、
美談めいた話に聞こえるけれども、
実のところそうじゃない。
猫はつよく、自分たちが「可愛そう」だなんてことは、
たぶんこれっぽっちも考えていないから。
私は、猫のそんなつよさに憧れる。
私たちに迷惑をかけ続けるマルリにしても、
彼がニンゲンの行うことにたいへんな関心があって、
それゆえそばにいる時間が多いので、
お互いの思惑が一致せず衝突しているにすぎない。
片手で包丁を握りながら、
もう一方の手でマルリを抱きかかえて調理する。
(食材によっては盗られてしまうので)
自分でも、何でこんなことしなきゃいけないんだろう…
そんなことを考えながら、つい笑ってしまう。
スリリングで面倒な調理の時間は、
それまでになかった楽しさと緊張感を与えてくれる。
いつの間にか猫族はニンゲンをコントロールして、
自分の花器を、家庭の中に作ってしまい、そこに収まる。
空っぽの花器というものは味気ないもので、
そこに猫という花が活けられることで、家庭に彩(いろどり)が生まれる。
もともといなくても完結できたものなのに。
そういう猫族のしたたかさ(強かさ)に、私たちは心地よく騙されてる。

出勤前に、
猫族みんなに挨拶する。
窓際で日向ぼっこするレプン姐さんを見て、
つい惚れ惚れし、3分間のロス。
これで毎朝何度も遅刻しかけてる(笑)
猫族の結ぶ強い縁は、私の中で強い絆に変わっている。
うちの子たちはみんなそう。
可愛そうな子はひとりもいない。
猫族はみんな、つよい子たちばかり。




















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