
先日、うちの町からの迷い犬が、愛護センターに収容された。
実は、その犬を最初に見つけたのは私の遠い知人である。
畑のくくり罠に引っかかったところを発見し、
ひとまず愛護団体へ連絡したが、やんわりと断られ、
次いで愛護センターに連絡した次第。
愛護センターに連絡したのは、
その後この子がどういう運命を辿るか「よく知らない」からで、
そもそもは愛護団体に「やんわりと断られた」せいでもある。
連絡した先の団体の対応をディスりたいわけではない。
これは団体(個人)のデフォルトでもあるからだ。
仮に私が「保護してください」と連絡されても、
「まずは自分で何とかできないか考えてほしい」と答えるだろう。
こんな調子でぽんぽん引き受けてたら、
単なるアニマルホーダーになってしまうからだ。
けれども、知人の立場からすれば、
「たまたま近所の畑の奥から鳴き声が聞こえてくるので、調べてみれば、
知らない犬が罠にひっかかっていた…ので助けてあげた。」だ。
それをいきなり「そのまま保護しろ」と言われても、
ほとんどの人が「分かりました!」と返答できないだろう。
では、
保護できないなら見殺しにしろ?というのか、というと
それも道義的に難しい。
助けると、そうした好意や善意が義務や責任感に変わる。
そこに大きなジレンマが生じる。
私の場合、いずれの当事者にもなる可能性があって、
どっちの言い分も分かる。
いずれが正解でもない。引き受ける余力があるほうが、
引き受けなければ、その動物は助からない(かもしれない)だけだ。
そしてそもそもは、
誰かの不注意の尻拭いを、赤の他人がしているだけ。
そこを変えないと何ともならない。
幸いにして、その子の飼い主は、時を置かず、見つかった。
(そういう飼い方をしている飼い主なので…というゴタゴタは今後あるにせよ)
いくらSNSで拡散して見つからなくても、エリアがはっきりしている場合、
張り紙のほうが遥かに効果的だったりもする。
ひとまずの収束。
人の善意が無にならない。
そんな世の中にするには、どういう風に取り組めばいいものか。



















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