格好よくいえばDINKSではあるが、働くことがそれほど好きではない嫁なので、
あまりそういえないのが残念なところ(笑)
代わりにわらわらと猫族がいる。
コレクトするつもりもないけれど、どんどん増えて困ってる。
何よりみんなカワイイのが一番困るところ。
この国では、コドモがいないと様々な恩恵から排除される。
税金の優遇、補助金、社会保障制度などなど。
そりゃそうだ。
合計特殊出生率がどんどん下がるこの国にとって、
コドモは直接的にも間接的にも未来の国の礎なのだから。
私にとって家宝のような猫族でも、国の制度上はモノにすぎない。
猫族を扶養家族に!
猫族を健康保険に!
猫族にも遺産相続を!(…じゃあ猫税払え)
それとは別の話として、
私はニンゲンのコドモが得意ではない。
(苦手というワケではない、というあたりの微妙なラインです)
それ以上に、コドモの自慢をする親が得意ではない。
それはひとえに、コドモにもその話にもほぼ興味が湧かないからだ。
けれども、
猫族と暮らすようになってから、
自分のコドモの自慢をする親の気持ちが理解できるようになった。
コドモの写真を持ち歩く父親は多いが、私も猫族の写真を持ち歩いている。
種族は違い、血の繋がりはないけれど、やっていることは同じだ。
10年ほど前、
私は「コドモがいないとニンゲンとしてオトナになれない」と思っていた。
今でもその気持ちはどこかに残っている。
自分の中(或いはパーソナルスペース)に異分子を取り込むことで、ニンゲンは精神的に成長するものだと思うから。
コドモがいない私たちは、育てることにまつわるエトセトラを理解することなく年をとった。
その点で私たちは精神的ネオテニーだ。

けれどもまぁ、それも悪くないと考えるのは、開き直りでもなんでもなく、
猫族がいるからだ。
毛むくじゃらのこの子たちが、純粋にコドモかと言えば、そうではない微妙な位置にいる。
ある瞬間はコドモでもあれば、別の瞬間にはジンセイの師匠でもあり、
時としてドキリとさせられる眼差しに気づくこともあれば、
常には私自身の生きてる証でもある。
自分自身以外のものを、こんなにも大切に考えられる。
それこそが、成長というものかもしれない。
そう納得して、何だか安心してしまった。
猫族のおかげで、私たちも少しオトナになれたのかもしれない。



















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