未だ 行方不明の方や 住み慣れた我が家に戻ることができない方 大勢いらして。
もう10年、まだ10年なのだと思います。
おむすび家の長男は 震災の年
2011年に生まれました。
あのとき私は 会社の地下倉庫から荷物を持って階段を上がっていて。
地上に出ると 電柱と電線がぐわんぐわん揺れていました。
そのあと 会社で見たTVの画面から流れる画像…
同僚が泣き崩れました。
「…昨日私がいたところ。
お父さんがここにいるの」
私は その時お腹に長男が居ることに気付いておらず。
子供を産み育てる気など全くない生活をしていました。
だから。
あの日も会社には寝泊まりできる準備があったにもかかわらず「私、ねこたちが心配なので帰ります」と。
職場から ターミナル駅まで歩き。
電車が運行再開するまで 駅の外で何時間も待ちました。
その後。
彼女のお父様が亡くなられたこと。
彼女のお腹の小さな命を流産してしまったことを聞きました。

もしかすると。
彼女のことがなければ。
あの震災がおこらなければ。
命の大切さを考えることなどなく
私は母親になることを選ばなかったかもしれません。
毎年。
どこにいても 3/11 14:46 黙祷は忘れません。
今日は 小学校の校内放送で 東日本大震災の話をして 生徒たちも30秒の黙祷をしました。
私は仕事中だったので
30秒という時間の黙祷はできないまでも
わからないように手を合わせていました。
あのときの地震や津波、火事で失われた 尊い たくさんの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして今でも震災復興の渦中にある方々の
日々の幸せを 心から願います。

☆☆ちゃん、今どうしていますか?
家に遊びに来てくれて 抱っこしてくれた、
あのときのあのコが
今年10歳になるんだよ。
私も いろいろあったけど
☆☆ちゃんの分も って思って、
頑張ってきたよ。
あのときの約束通り
これからも 私も頑張るからね!
☆☆ちゃん、ありがとう。
またいつか 会いたいな…
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