
今日みたいな薄曇りのしっとりした朝でした。
一日でも長く生きて欲しくて、
ずっと続けていた輸液にお薬、猫だんごの強制給餌を、
ネオ自身が拒んだ姿を見たら、
今思えば、マンガみたいにヨロヨロで、
くちゃいヨダレでビショビショで、
「お水」「ゴハン」と呼びに来ることもできなくなったネオを見て、
最期の頃に、私はやめてしまった。
続けていれば、あと数日は生きられたのかもしれない。
ネオは基本おとなしかったからイロイロできたけど、
いつもベッドの下とか隠れんぼして嫌がっていた。
そもそも病院なんて、検査なんておかまいなしで放っとけば、
案外ぽっくり楽に逝けたのかもしれない。
『死』という現実を目の当たりにしたら、
そんなバカげたコトまで考えてしまう。
どうだったとしても、きっと後悔は残っただろうし、
正解なんて存在しないとわかっていても、
今いるみんにゃのとき、私はどうするのか。
猫の最期をどう看取るのか。
選択して、決めて、しっかりお空へ送り出すのは
飼い主の最後の務めだから、
旅立つ日がゴールではないけれど、
悔いなく見送ることができるように、
「幸せだったね」と言えるように、
一日一日過ごすようにしているよ。
今、ここにネオはいないけど、
みんにゃの画像や動画や、ネコジルシに書いた日記…
そして、ネオもチョコたんも、私の心にずっといる。
子供の頃、『脚気』が何なのかもわからずに膝をコンコンしてたアレ。
私の中に、そーゆー箇所があるようで、
気づかず触れてしまい、涙が溢れてしまうみたいだ。
窓から見える階段に、朝カットしてきたアナベル。

お空からの帰路の目印、わかったかな?
青々としたグリーンに戻った。

ネオの花だよ。不思議な花だねぇ。
お寺では今日、新盆供養があるらしい。
夜は、みんにゃとちゅーるたわー食べようね。ネオ。


ネオは嫌だったかもしれないけれど、
みんにゃ、ネオを大好きだったよ。