およそ5ヵ月もの間、腎不全の闘病を続けていたノンノさんが夭逝しました。
亡くなる3週間ほど前から少しづつ食欲が減退し、
1週間ほど前からほとんど食事を受け付けない有様に。
痙攣発作を起こしはじめたあたりから、お別れを覚悟はしていました。

25日はいったん出勤していたのですが、
在宅していた妻からの危篤の知らせで帰宅したのが正午ころ。
それから段階的に容態が悪くなっていくんだけれど、
その間がかなり、長い(笑)
途中で1時間ばかり、眠ってしまってました。
彼女の想定外の「頑丈」さのなせるワザかと。
悲しさは、実のところほとんどないのですが、彼女が「いない」ってことが何とも不思議で、そして寂しいと感じています。
まるで自分の心臓の一部が機能していないよう。この漠然とした寂寥感が、私が彼女に預けていたものの正体なんでしょう。

↑家に来た頃。実弟と。
「ほぼ娘」「娘」「猫娘」と、
そんな風に呼んでしまうほど、彼女は私たちにとって、かなり特別な存在です。
彼女と過ごした7年弱という期間は、
思い返せば、なかなかに長いものだったように感じます。
けれども、やっぱり、
「もっと一緒にいたかった」だけがウソイツワリのない本心。
だからね、最期の最期でも
サヨナラは言いたくなかったし、
一度だって言えなかったんだよ。

姿形は見えないけれど、
いつかまた、肩が重たくなったら、
きっとキミがいつものように、私の肩に乗っているんだろうね。
おろしたてのシャツを、何枚爪で破られても、肩からキミを降ろさなかったように、
枚挙に暇もない馬鹿げたエピソードの数々を、私が忘れるワケはないだろう。
ずっとずっと愛してる。
私が死ぬまで、死んでからも、その思いはきっときっと変わらない。
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