30分にて町内放送で黙祷のお願い等の放送が流れ
毎年、ずっと思う
14時46分で運命が分かれてしまった私と何一つ変わらず
当たり前に続くと思っていた命を亡くした方々の命の重み
40分…あと6分で私が死ぬ津波にのまれるとなったら私は?
怖くて仕方なくなった、けれど亡くなった方々はそんな予感すらなく
突然に襲い掛かる天災に巻き込まれ亡くなった。
人だけでなく動物たちも命あるものたちが…なんと無念なものだろう。
津波をイメージするとオカルトになるかもしれないが
私は波間から無数の手が伸びて命を奪っていくイメージがある。
小さい時から海の町で育った私にとって海は異界だ。
だからこそ、そこに連れ込まれる恐怖があり海は嫌いで泳ぎに行かない。
最近の地震の地鳴りの多さから、常に「とうとう来るのか?」とヒヤリとする。
テレビでたくさんの命が波にさらわれるのをリアルタイムで見ていた。
安全な場所で、あまりにも悲惨な出来事で心の感情すら硬直して
ただなすすべもなく水に飲まれていく人を見て絶句した。
あの人の命と、今ここでテレビを見ている私の命と何が違うのか?
ただ住んでいた場所が違うだけ。
地鳴りや揺れがくるたびに「とうとう南海か?」と以前より意識する日々。
そして自宅にいる時は、まず猫たちを連れて逃げなきゃと目で猫たちを追いかけます。
私の住む町も昔から津波被害の土地です。
そこで言われている言葉があります。
「命があればなんとでもなる」
です。
高台に家を建て直す人たちも増えました。役場も高台に移動予定です。
地元の私たちは「津波くるかも」が合言葉で、誰も「こないよ」とは言いません。
来るのが前提の土地です。そして皆その威力を幼い時から伝え聞いています。
娘も新居は津波のこない地域に新築します。
私は猫たちを連れて無事に逃げることができるだろうか?

毎年この曲をきいて亡くなった方々の冥福を祈ります。
私は何を残しただろう…まだ私は答えがでません
ただただ亡くなった方々のかわりに生き続ける私たちが考え続けるのが使命だと思っています
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