
19歳までバイクに乗ろうなんて1mmたりとも思わなかった。
失恋した日、私のしょんぼりする様子を見かねた友人が、
突然ヘルメットを手渡し、私にタンデムを勧めた。
はじめて体験した速度と空気の流れ、そして恐怖心。
私はその翌日、教習所の願書を出した。
それから20年以上、ずっとバイクに乗っている。
他人に合わせるのが苦手で、
マスツーリングは誘われてもしない。
ツーリングの最中に、大きな駐車場があるスーパーで休憩していると、
よく中学生のダンシに声をかけられる。
私も独り、ダンシも独りだ。
これにはパターンがあって、
バイクがカッコイイの話から、自分もバイクに乗りたい…
といった流れだ。
ダンシはきっと、学校では浮いた存在なんだろう。
そんな孤独を知り始めた彼にとって、流れ者に見える私は、
センセイなんかよりずっと身近なオトナなのかもしれない。
中学生の世間は狭い。
校区や学校なんていう見えない枷に縛られて、
そこから出ることには、大きな勇気が必要だと思っている。
彼にとってバイクは、その枷を越境できる象徴なのだろう。
ニンゲン同士のしがらみなんて鬱陶しいものだ。
かと言って、全くの没交渉で生きていくこともできない。
彼よりも、人生の甘いや酸いを経験した私にとってバイクは、
そんな関係性から一時、逃げる手段なのかもしれない。
中学生と話をしながら、
私は猫のようにあれたら、と思う。
猫族は、自分たちそれぞれの「正しさの軸」から外れることはしない。
バイクなんかなくとも、猫族はずっと自分たちの両足で歩んでる。

そんなことをどう、少年に伝えればいいものか、
私は言葉に詰まってしまった。



















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