理由は単純で、女学校時代の友人から届く、宝石箱をひっくり返したようなキラキラ賀状に返事を書くのが心底しんどくなったからだ。
これまでは「お年玉くじが当たるかもしれん」などという、さもしい邪念を忍ばせつつ、惰性で続けてきた。
しかし気づけば、年賀状は“年に一度の交流”ではなく、“年に一度の義務”へと変質していた。
世の中には、懐かしい人からの一枚を宝物のように待つ方々がたくさんいる。
だが、子どももおらず、ひとり静かに暮らす奴隷には、人生のビッグイベントというものが殆ど、にゃい。
そして、相手から届くのは、これでもかと煌びやかニャ自己愛を盛り込んだ写真のオンパレード。
それに対して奴隷が返すのは、毎年変わらぬ「あけおめことよろ+ひとこと」。
そして、印刷に対して直筆で返すという自分ルールにも、そろそろ疲れが出てきた。
今年の賀状をくださった方々には、ぼくと義父の喪中を伝え忘れたことへのお詫びと、先方のますますの幸せを祈る言葉を添え、来年からは賀状じまいとしたためた。
書き終えた瞬間、脳内でバカボンのパパが歌い出した。
「これで〜いいのだ〜♪ これで〜いいのだぁ〜!」
またひとつ、世間を狭くした奴隷、それでいいのにゃ?
みうらじゅんの“比較三原則”が脳裏をよぎる。
1. 人と比べない
2. 過去の自分と比べない
3. 理想の自分と比べない
なるほど、塾年とは、友情の賞味期限を静かに悟る季節でもあるのかもしれない。
ただし、猫に関してだけは別腹で、奴隷は永遠の愛を語る。
まったく、意固地で愚かな奴隷である。




















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