
最近近所の農家さんで
枝豆が出ているので
「枝豆と(トウモロコシ)をゆでるプロ(自称)」の修行中!

枝豆をもぐときは
ハサミで豆の両端っこをカットする!
↑この手間が出来上がりを左右する!

いったん水で軽く洗って
今度は塩を振って毛が取れるようにこすって
それから軽くゆすいで
ゆでるときは、フライパン~。
ゆでるというより蒸す感じ♪
フライパンに洗った豆を投入
軽く半分くらいひたるくらいにお湯を
この時にお湯と一緒に緑茶の出がらしのお茶でいいのでちょっと入れるわけです!
すると、なんちゃって茶豆になるのだ~~~。
ふたして、だいたい三分くらい加熱するナリ。中火から強火で。
ふたを開けて、混ぜ混ぜして、水気がなくなるまで2分くらい?
全体で5分くらいを目安にどうぞー!
時々味見してみるのだ!
イイ感じになってくるとさやが開いてくるので
さやが開いてきたらほぼ完了!開いてなくてもいいよ。
ざるに開けて、お塩を振ってさますのだーーーー!
ああ、また食べたくなってきた!
明日は早起きして採りたて枝豆と遭遇するぞ!!
(23区の端っこで採りたて野菜を食べてる、贅沢♪)
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6月18日は母の命日。
ちゅーるジルシのあと、
毎年なんか6月はイマイチ。
なので
岩手に行ってお墓参りに行って
三陸に行って母の好きな海の幸を食べて
SLにも乗ってくるという過ごしかたをしている、、
だが、
まず、今年そもそも6月にSLが検査で走らない!
けしからん!と思っていたら
まさかのコロナ・・・。
岩手県は、ほぼ鎖国状態(大げさ)
いつもあう友人さえも
「まだきちゃだめよ~」
なによりかにより、、割引切符がないっ。
母が亡くなったのは震災の前の年なので
2010年なのですが、6月に母がなくなって
母の猫のびっちゃんを
9月に岩手から陸送・・・。
当時のびっちゃんは
家と外を出入り自由の猫で。
それをどうやって東京に連れてこよう、、、
我が家(実家)から新幹線の駅まで
電車だと最寄り駅からだと15分ぐらい
ただし一日10本も列車ありませんw
上野についてから、、、
今の私ならタクシーという案もすんなり浮かぶのですが
電車で乗り換えとかそういう考えしかなくて・・・・。
千代田線の帰宅ラッシュに猫と一緒とか、、無理!
当時、東京ではすでにとらた君と一緒に暮らしていたのですが
私の猫スキルは「猫と一緒に乗り物」なんてとんでもない!
それも、外出自由のクルミの木や梅の木のずっと上のほうに登る
デンジャラスな猫を連れてくるなんて!
結局母がいきていた時に、よく遊びに行っていた
パチンコ屋さんでお友達になった20代の女の子が
うちの実家の軽自動車を東京まで運転してくれて。
あの時、お外暮らしが最後になったびっちゃんを
大きなキャリーに入れて車にのせて、東北自動車道から常磐道を経由。
常磐道に入るまで、「ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん」泣き続けたびっちゃん。
「きちがいになってもずっと面倒みるからね」と声をかけて
常磐道に入ったら、静かになって・・・・。
びっちゃんを引き取るために、
物件を探して、お店もできるようにリフォームして・・・。
母が亡くなったのが6月で、
物件探してリフォームして連れてきたのが9月・・・・。
ニンゲン、やる気があればできるのだ!
あれから10年、、、
当時5歳くらいだったびっちゃん。
あのころいたとらた君はもうおそらに行っちゃったけど、、、
びっちゃんは、「猫が嫌いな猫」は変わらないままだけど
女の子のようなかわいい声だし
綺麗なグリーンの瞳はクリクリしているし・・・。
あの時「きちがいになったらどうしよう」って思ったけど
こうしていまも一緒に暮らしている。
もはや東京で暮らしている、おうち生活のほうが
にゃん生長くなっているわけで。
もし、東京に連れてこなかったら......
半ノラ状態だから里親探しというのも頭になくて
実家を継いだ義理の姉がいるのだけど(親が再婚同士だった)
その人たちに託した子(実家の車庫で世話した子たち)は
結局何年もしないでなくなってしまった。
今だったら、、あの子たちも連れてこれたかな?
って時々思うことがあるけれど。
あの頃の私にできる、精いっぱいのことだった。
でも頑張ってよかった。って思う。
お母ちゃん、もう少しびっちゃんと一緒にいさせてね。
母の命日が来るたびに、毎年おんなじこと思っている。
来年も、その次も、ずっとずっと続きますように。
■母のこと■
うちの母は大腸がんでなくなりました。
5月に検査8月に手術その後、
手術しても結局翌年の6月になくなっちゃって
手術しないほうがよかったかなぁって思ったり。
まぁ、どんなに尽くしたって悔いは残るわけで。
尽くしたから、、こそなのかも。
本当は緩和ケアを受ける予定でしたけど
結局本人が最後の最後まで我慢して
入院したらもう病院から帰れなくなるからって
3月の末に余命宣告されてから(抗がん剤の効果がないので尽くす手がない)、
その間私は東京と岩手を行ったり来たりしてて
母は自分の親戚や友人、自分の逢いたい人を自宅に呼びつけて
大事にしていた花や山菜や畑のものをヨロヨロした体で採って
料理して食べてもらって、
かなりつらい状況だけど温泉にも行って一泊して。
6月の初め、とうとう痛みが我慢できなくなって、でも急には強い薬は使えなくて
結局2週間、意識がなくなって一週間くらい壮絶に苦しんで
まさしく、息絶える、そんな状況を見送りました。
ニンゲンの体を捨てる瞬間、、、
お医者さんの見立てどおりだった・・・。
その後いろんな人と話をして、
いろんな本を読み、、、
親の死に目にあえたことは幸せなことである
孫の顔は見せることはできなかったけど
看取ることができたこと、そして母が死ぬところを私に見せたのは
親の務めでもあるという、そんなふうに考えることができるようになりました。
毎朝見ている朝ドラ、昨日と今日は
主人公のお父さんが「宝くじに当たって一泊二日で現世に帰ってくる」というお話。
死に装束なのに、なぜか着物が左前じゃないぞーと一人つっこみながら
それでも、私も母をおくるときは、
普段気に入ってきていた服と抗がん剤でむくんでいた足にはかせたのは
やっぱり普段履きなれていたサンダル(つっかけみたいなの)。
だって本人が
「あんなコントみたいなかっこしたくないから、かんおけに入るときはこれ」って。
うちの母も宝くじで当たって一泊二日で現れてくれないかなぁ~。
とらたくんとろくちゃんも一緒につれてきてほしいなぁ。
幽霊でもいいから逢いたい。
親を看取るのは子の務め
飼い猫は看取ってこその飼い主
■ハナジルシ■
こないだ見つけたサフィニア

おなまえは
「とらねこ」

ちょっと徒長しているので
バーバーしてみますね!
もこもこになってくれるといいなぁ。
ちゅーるジルシの日記はまたあらためて♪



















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