第22回 親と子と猫の話「猫泥棒と木曜日のキッチン」
こんにちはー。
そろそろ、皆さんの家でも冬支度が始まる頃でしょうか。
えりかのコラム22回目も始まりますよ。
今回は「猫泥棒と木曜日のキッチン」のご紹介。小説です。
結構重い話ですが、すらすら読めてしまう不思議な本です。
では、ごゆっくりご覧下さい。
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「お母さんが家出した」
という一文からこの本は始まります。
親に捨てられた子ども達と、捨てられた猫達のお話です。
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高校生のみずきと5歳のコウちゃん。種違いの姉弟。
父親はとっくに消えてしまい、母親も突然帰って来なくなりました。
けれど、突然消えるような母親だったので、
今までも家事はほとんどみずきがやっていました。
広告をチェックしたりコウちゃんにご飯を作ってあげたり。
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母親がいなくなっても、みずきは困りませんでした。
母親がいなくなる前と、大してそう変わらない生活。
変わったことと言えば、庭がお墓だらけになったことくらいです。
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母親がいなくなった日に見た、子猫の礫死体。
みずきは、母親がいなくなってから4日目に
まだ道路に転がっていた子猫を埋めてあげます。
そしてその時に知り合った、健一君という男の子。
健一君とみずきは、何故か親しくなり
二人で轢かれた猫を拾っては、庭に埋め、お墓を作ります。
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この話、さっぱり分からないでしょ。
あらすじを書いた私でさえ、未だによく分かってないんです。
どうしてみずきはお墓を作るのか。
どうして母親がいなくなってからなのか。
けれど、何故か読みやすいんです。
「よく分からない」という気持ちは
ページを捲る手の速度を遅くしたりしますが、
この本における「よく分からない」という気持ちは
「分かる」に限りなく近い「分からない」なわけです。
心の奥底ではきちんと把握して分かっている。
けれどもそれは言葉に出来ない、そんな感じの気持ち。
同意も反対もない、ただの「理解」
この本の筆者、橋本紡さんという方は、
そんな気持ちになる不思議な文章を書く方です。
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ある日みずきは、ある事に気が付きます。
子猫が死んでいる場所はいつも同じ。
いつも同じ三叉路です。
捨てられている時もあれば、礫死体となって転がっている時もある。
場所はいつも同じ。そうあの辺に、いつも子猫を捨てている人がいる。
そう気が付いたみずきは、その人を突き止めます。
そして、その人の家へ乗り込むのです。
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ほら、なんとなく分かってきたような気がしませんか。
捨てられた姉弟と、捨てられた猫達の物語。
憑かれたかのようにお墓を作り、捨てる人間に怒る。
ほら、説明がつくような感じがしませんか。
雨あがりの、まだどんよりとした
空を見上げる時の、妙に晴々とした気持ち。
この本はそんな本なんです。
猫泥棒と木曜日のキッチン
お母さんが家出した。あっさりとわたしたちを捨てた―。残されたわたしは、だからといって少しも困ったりはしなかった。サッカーを奪われた健一くん、将来女たらしになるであろう美少年の弟コウちゃん。…ちょっとおかしいかもしれないが、それがわたしの新しい家族。壊れてしまったからこそ作り直した、大切なものなのだ。ちょうどそのころ、道路の脇であるものを見つけて―。
次回は12月24日更新予定!次回も是非見てくださいね!