えりかの猫本レビュー

第70回 優しく悲しい「猫の神様」


2月も終わりですねぇ。
冬の足音が遠ざかる3月も
もうすぐそこ。
月日が流れるのは早いもんです。
今回のえりかのコラムは
「猫の神様」のご紹介。
ごゆっくりご覧ください。










の神様っているんでしょうか。

唐突ですが、本当にいるんでしょうか。

猫の神様、と言っても、招き猫や
どっかの国の猫の姿をした
神様ではなく、猫のための神様。

猫の一生を司る、猫の神様。








いるかいないか、ではなく、
この場合「いる」と仮定して
話を進めていった方が
いいかもしれません。

とりあえず、「いる」ということで
ここからは話を進めます。








その「猫の神様」の名前を
冠しているこの本。

独身男性が2匹の猫を拾い育て、
その猫達を看取るお話です。

1匹が突然亡くなり、
残ったもう1匹も病魔に犯され、
闘病期間を経た後に亡くなって
しまうという、本当にあったお話。







どこにでもあるお話なんです。
よくあるお話なんですよ。

よくある話を、日記風に書いてる
だけなんですよ。

それだけなのに、どうして
こんなにも悲しいのでしょうか。









虚飾は少なく、日常をリアルに
記録した文章だからこそ
直に染み渡る感情。

「猫が死ぬ」という事象が
ひとつひとつ丁寧に記録されており、
それは、先を読み進めるのが
辛くなってくる程。

そこで、「猫の神様」です。
この本には、こういう一文があります。






「そして猫の神様を呪った。
 誰の猫だと思ってるんだ、
 お前のじゃない、俺の猫だ。

 〜中略〜
 
 そう簡単にお前の元になんかやらないぞ」







猫の神様に、祈り誓うわけじゃない。
お前の猫じゃない、と言い切り、
簡単にお前の元には行かせない、と
啖呵を切る。

目の前の、辛くて直視したくない現実を
しっかりと見据えているからこそ
紡ぎ出されるこの言葉。

一番辛くて目を瞑りたいはずの飼い主。
けれど、その飼い主である著者が
しっかりと目を開けて「見ている」から
こその、身を切られるような悲しみ。








けれど、悲しみがあるという事は
すなわちそこに、愛があったから。





かに綴られる猫への愛、

そして、静かに、けれども
叫ぶ様に綴られる悲しみ。

そんな物静かな本だけれども、
読後感はあまりに壮絶なものでした。






愛しているから悲しい。
悲しいけれど、だからこそ愛しい。

この本は、気合を入れて読まないと
きっとこちらが負けてしまう様な
本かもしれません。

猫への愛と、覚悟を持ってお読みください。












猫の神様

彼が死んだのは、暖かい春の陽射しが射し込む、穏やかな朝だった。十年と八ヶ月一緒に暮らしたというのに、それはとてもあっけないお別れだった…ぎじゅ太が死んでからというもの、僕は毎日を呆然と過ごした。僕の薄い膜の中に入って来れるのは
みャ太だけだった…こいつは長生きするだろう。これから先、ずっと長い間可愛がって、二人仲良く暮
らしていけるはずだ。でもそうはならなかった。おそらくこの時すでに、彼の身体の中では異変が起こっていたのだ。独身ライターとその小さな家族の、愛と孤独の物語。




Auther:

★えりか


ご覧の通り、絵も文もゆる〜い感じで進むこのコラムですが、皆様のお目汚しにならないよう、しこしこと精進しながらがんばっていきますので、どうかよろしくお願いいたします。

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